
- イベント名 :狭山市入間川七夕まつり
- 公式HP :入間川七夕まつり実行委員会事務局
- 開催日 :8月4日(土)5日(日)
- 会場 :狭山市駅西口から入間川商店街周辺
- 地図 :観覧場所
- アクセス :西武新宿線狭山市駅下車徒歩15分
- お問合せ :048-922-0151 (内線1582) 入間川七夕まつり実行委員会事務局
- 悪天候等により中止となった場合は、狭山市公式ホームページ及び狭山市公式モバイルサイトでお知らせいたします。
狭山の七夕まつりは、江戸時代の中ごろから行われていたと言われています。この頃の七夕は、1メートルぐらいの笹や竹の枝などに紙の短冊や千代紙などを下げて、五穀豊穣や無病息災を願い家々の軒下などに飾りました。また夏の日照りによる干ばつが起こらないように、雨乞い祭りとしての意味も有しておりました。
従って、この祭りが行われていた8月の6日か7日のいずれかは、夕立などの雨が降るといった現象がありました。今日では、祭りの開催日が社会的な事情により土曜日と日曜日の開催となっています。
また、願い事を短冊に書くという習慣ですが、さといもの葉にたまった露をすずりに入れ、「どうか字がうまくなりますように 七夕さま」などと子どもたちは書き、大人はお供え物をして今年も農作物がたくさんとれますようにとお祈りをするなどしたそうです。
現在のような華やかで創入間川七夕まつり意工夫を凝らした飾りつけになったきっかけは、、明治から昭和の初期に活躍した画家であり詩人でもあった「竹久夢二」の影響を受けた結果といわれています。
竹久夢二は欧米に旅立つ数年前(おそらく昭和3年から5年頃)に、東京での作家生活から抜け出し、大自然の中で地方に残る民芸品に創意を加える「手による産業」をテーマとした、榛名山産業芸術研究所計画を進めていました。
そんな折、夢二の友人であり、後に入間川七夕まつりを今日のような盛大な行事に育て上げた大野六之丞(芳郎)は、友人である夢二を入間川七夕まつりに招きました。
叙情的なものを愛していた夢二は、快く招きに応じ、七夕見物を約束しましたが、当時から病弱であった夢二は、見物に来ることができませんでした。その代わり、約30名程の夢二会の会員たちが、まつりを訪れ、それ以降の七夕まつりに叙情豊かな夢二のセンスをふき込んでいったといわれています。
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